「土壌汚染」と「土環境」


福岡大学法学部長
   浅野 直人

プロフィール
 1943年愛知県生まれ
 九州大学大学院法学研究科
 1980年 福岡大学法学部教授
 1997年 福岡大学法学部長 (併任)
 中央環境審議会委員、社団法人環境科学会副会長

 「土壌」の概念が、環境法制度に取り入れられたのは、1970年の公害対策基本法改正のときだった。この改正で、従来の5公害に加えて、「悪臭」及び「土壌汚染」が公害類型に追加されて、いわゆる典型7公害が出そろった。しかし、土壌汚染の多くは、大気汚染あるいは水質汚濁の結果として生じるものである。これを独立の公害類型としたのは、当時のカドミウム米問題など、重金属類による農用地汚染の被害が社会問題となっており、汚染農地での作付けの制限や汚染農地の原状回復など、汚染が生じた後の対策の必要性に注目が集められていたためであったといえる。
 1970年には、同時に「農用地の土壌汚染の防止等に関する法律」が制定されて、対策が必要な汚染農地の地域指定や、当該地域でのかんがい設備の新設や汚染農地の客土事業等の対策計画の策定、当該地域への汚染物質排出の上乗せ規制、作付け制限の勧告などを行う権限が知事に与えられた。
 ところで、「土壌」とは、「岩石の風化生成物と腐敗分解した動植物質からなる地殻の表層を形成する土。多種の有機成分(植物や微生物とその遺体)により肥沃度が高く植物の生育や生物の生成と深いかかわりをもち、一般に腐植特有の色調を呈する」(土木用語大辞典931頁)と定義される。「土壌」は、固体、液体、気体の3つの相からできている不均質な物質系であり、鉱物質や有機質の固体粒子の孔隙に、水分と空気が満たされている(高井康雄・平凡社・世界大百科事典)ものとも説明される。そして、植物生育の機能、土壌中の微生物による物質分解・合成を通じての物質循環の機能、さらには水資源涵養およびこれによる洪水災害防止の機能、水質浄化の機能など多様な機能を果たす環境の重要な要素である。その意味では、「農地」の保全を念頭において考えるときには、「土壌汚染」の概念は適切なものであったといえるわけである。
 1970年の公害対策基本法改正では、土壌についても環境基準を定めることがあわせて規定された。しかし、その後も長い間、土壌環境基準は設定されないままで経過し、ようやく1991年に基準が定められた。これは、1980年代になって、全国の地下水の概況調査により、トリクロロエチレンなどによる井戸水の汚染が全国に拡がっていることが判明し、社会問題化したことが背景となっている。そして1989年には水質汚濁防止法改正により、有害物質を使用する特定施設からの汚水の地下浸透への規制が行われることとなった。そして、これらの規制にあわせて、主として地下水(ひいてはその先の公共用水域)の汚染の原因を防止するために、水質環境基準をうけるかたちで土壌から溶出する有害物質を中心とした土壌環境基準が設定された。ただし、この基準は自然的原因に由来して汚染が生じている場所や、原材料の堆積場・廃棄物の埋立場等基準の対象物質の利用・処分を目的に、これら物質を集積している場所には適用がないものとされている。しかし、これ以外の場所については、土壌の汚染に係る環境上の条件として、全国一律に、人の健康を保護するために「維持されることが望ましい基準」として適用される。これは、人の健康に係る環境基準はこれまで、地域を限って適用することはなかったことも理由とされている。そして、ここでは、「系としての土壌」の保全は関心とされず、汚染物質を地下水に混入させる経路としての「土」汚染だけが問題となっているわけである。
 なお、その後、1996年の水質汚濁防止法の改正で、汚染された地下水の水質の浄化について、知事が原因者に対し、措置命令を出せるものとされ、浄化のめやすを示すために、1997年には地下水の環境基準も設定されて今日に至っている。この地下水環境基準についても、人の健康の保護に係る基準であることに加えて、論理的には、地下水が全国いずれにあろうとも、その汚染は公共用水域汚染の原因となりうること、また現に飲用に使われていなくても災害時には飲用に回される可能性があることなどを理由として、全国一律に適用される(しかし、利用の現実を無視した浄化命令が濫発されることは決して望ましいともいえない)。この改正では、地下水汚染の経路としての「土」と無関係に地下水の浄化だけを論じることの矛盾を指摘する意見も出されたが、土壌・土環境の総合的な取扱いは、なお多くの検討課題を含むとして、とりあえず緊急を要する地下水の浄化についての法改正にとどめられた。
 ところで、最近、廃棄物処分場周辺を中心として、非意図的に生成されるダイオキシン類による「土」汚染も問題となっている。1999年のダイオキシン類対策特別措置法は、ダイオキシン類についての「土壌」環境基準の設定や、「土壌汚染」が生じた地域についての原状回復等の措置を定めた。ダイオキシン類は従来の土壌環境基準の対象物質のように、地下水汚染の原因となることのみを念頭においた基準にはなじまないものである。そして、ダイオキシン類に限らず、人の健康に有害な物質に汚染された土地に、住宅・病院・学校などを建てて利用した場合の危険や、風による地表からの有害物質の巻き上げによる大気汚染なども心配する必要がある。ダイオキシン類をめぐる騒ぎは、はからずも農用地土壌の汚染対策からはじまり、地下水汚染防止対策へと展開してきた、これまでの「土壌汚染」対策は、必ずしも十分に問題の全範囲をカバーしてきたものではなかったことを、明らかにしたともいえるわけである。
 同様に、廃棄物の最終処分場は、現にそれが埋め立てられ続けている間は、法の規制のもとで管理される一方で、土壌環境基準の適用を免れる。しかし、埋立が終わり、最終処分場としての使用が終わり閉鎖されると、旧埋立処分場も通常の土地にもどることになる。このような場所のその後の管理や用途の制限について、現在の法制度は必ずしも整備されているとはいえない。さりとて、これらの場所をすべて、一般の土地同様に、土壌環境基準が適用される場所とすることは、いささか非現実的と言わざるを得ない。むしろしかるべき用途規制をかける等のやりかたで取り扱うべきであろう。
 周知のとおり「公害」の概念は、大気、水、地盤(土)といういわば基盤的な環境の構成要素に対する人為的な汚染等によって人の健康や生活環境に被害が生じる事態を想定したものであった。そして、1993年の環境基本法の制定までは、自然環境の保護・保全は、公害対策基本法とは別の法体系のもとにおかれてきた。しかし、環境基本法は、公害防止と自然保護を統合的にとりあつかうことをめざしている。同法のもとでは、さきに指摘した本来の「土壌」の概念は、環境汚染と「いきもの」の保全を統合的に考えるための手がかりの一つとなろう。
 これまで、「土壌汚染」として、一括して扱われてきた政策課題も、実際には複雑な様相を呈している。農地に限らず、広く生態系を念頭においた「系としての土壌」の保全に係る施策の体系と、地下水汚染の防止を意識した「土汚染」防止に係る施策の体系、さらには土地としての利用に伴う人の健康の保護等の観点からの土環境の保全に係る施策を(さらには地下水による土地地盤の支持力に関係する地盤沈下対策の施策をも)含めて、広い意味での「土環境」に関して、問題領域に十分に着目したうえで、その保護・保全の政策の体系を整理検討すべき時期がきているものといえるのではないだろうか。